会社が嫌なら辞めていい

俺たちはいつだって自由になる権利があるんだ

SEがプログラミングできても出世に役に立たないのは事実だが、技術力がない人は最終的に軽んじられる

「プログラミングができてもSEには役に立たない」

というツイートが話題になっていました。

海外はよくわかりませんが、日本のIT業界は建築業界のようなピラミッド構造になっています。


お客さんから仕事をもらう一次請けの会社があって、その会社の「プロジェクトマネージャー」が仕事を受注し、

下請けの会社のプログラマーを大量に雇って、大規模システムを作るような構造です。


お客さんに近い側にいて、プロジェクトの管理を担当する人たちを「上流工程を担当する人」と呼びます。

実際に手を動かしてモノを作る人たちを「下流工程を担当する人」と呼んだりします。


日本の場合は、上流工程を担当する人の給料が高く、下請けに向かうつれて給料が安くなります。

そりゃあそうですよね。

お金を出すのがお客さんだから、最初に自分たちの取り分を確保するでしょう。

下請けの会社にとっては上流工程を担当する会社は「お客さん」なわけです。


それで、何百人という人間が関わって大きなシステムを作っていくわけで、

上流工程の人々は「何MMのプロジェクトを担当した」というのが一種のステータスになっています。

MMとは(Man Month)=人月の略です。

人間一人、一ヶ月の単位でシステム開発の規模を測っているのです。


普通に考えると、人手を少なくして良いものを作ったほうが偉いと思うのですが、

プロジェクトマネージャーとしては大人数でたくさんの予算をかけたプロジェクトを完遂した人が偉いと評価されるようです。


で、この上流工程の人の主な仕事は


「会議」


です。

会議して、社内向けの報告資料をたくさん作って、たまにお客さんの話を聞いて、仕事を振る。


全く手を動かさないので、技術力はゼロです。

当然、プログラミングもしません。

どれくらい技術力がないかと言うと、情報系の女子大生以下だと言えます。


「ホワイトボードに書く字が上手だと褒められますよ」

というのもあながち間違いではなく、手に職で勝負しないプロジェクトマネージャーは


いかにカッコよく見せるか


が重要な仕事なのです。


見やすく、きれいな資料。

順調に進んでそうな進捗報告。

口がうまく、社内の偉い人に「よし」と言わせる技術。


そういうスキルが身に付いていきます。

プロジェクトマネジメントのスキル、というかPMの優秀さは「PMP」とか情報処理試験の「プロジェクトマネージャー」とかで体系化されているようなのですが、

どちらかというと咄嗟の場合の頭の回転とか判断力、決断力によるものが大きく、そんなものは本で学んだからと言って身につけられるものではありません。


結果、プロジェクトマネージャーのスキルはふわっとしたものに落ち着かざるを得ず、無能なPMが最終的に行き着く場所は


「下請けにプレッシャーを掛け、ムチで尻を叩いてプロジェクトを進める」


となります。


やるべきことに優先順位をつけて、大きな絵を描いて、何をやって、何をやらないかを状況に応じて判断しなければいけないのに、

馬鹿にはそういう仕事はできないんですね。


そして、世の中の「上流工程」を担当する社員の8割くらいは馬鹿なので、決断力も俯瞰力も判断力も身に付きません。

なぜ高学歴で偏差値の高かった彼らが馬鹿になるかというと、ぬるい環境で「自分の頭で考えない」仕事を続けた結果、

能力を磨く機会もなく、学ぶ機会もなく、徐々に社会人として腐ってくるからです。


腐卵臭を発しているにも関わらず、「上流」というだけで


「俺はすごい」


と勘違いしてる。そんなやつばっかりですよ。日本のITは。


だからね、プログラミングなんて学ばなくてもいいんです。

お習字でもやって、ホワイトボードにきれいな字を書けばいいんです。


ちゃんと字が綺麗に書けたら、会社が潰れても習字の先生になれる!

がんばれ!


「働き方改革」はなぜ進まないのか

働き方改革」が提唱され、残業を減らすように政府が声を上げている。

会社でも「とりあえずやっとくか」みたいな感じで、

働き方改革、やっとく?」的に改革()が進められている。


なるべく残業しないで早く帰りましょう。

健康を守りましょう。

もちろん、経営陣は半分くらいは本気で改革しようしていると思うのだが、驚いたことに、現場側が働くことをやめないのだ。

なぜだろうか。

政府に言われたら頑張る

まず、「生産性を上げて労働時間を短くし、無駄な残業しないようにしよう」は労働者が自発的に進めるべき施策であって、


「政府に言われたから頑張る」


では小学生以下である。

経営者は労働者をこき使うことで利益を上げられるわけだから、

たいしたメリットもない「働き方改革」を本腰入れて進めようとは思うまい。


では労働者はどうか?

普通はただ雇われているだけなのだから、仕事なんてさっさと終わらせてさっさと帰りたいはずである。

が、帰らないんだな。

バカだから。

会社が推進しても立ち消えになる

会社側(経営側)が「働き方改革、やっとこか」と主張して、

会社員は上司に怒られないために仕事しているから、

一応ポーズだけ「働き方改革、現場でやります」と進める。


聞こえのいいキャンペーンを開き、いかにも「推進してます」感を出す。

これは従業員のためなどではなく、上司(または経営陣)に怒られないためのキャンペーンである。


「会社員は怒られないために仕事をしている」

というのは忘れてはいけない重要な視点だ。


で、せっかくキャンペーン的なものが開かれて、

「早く帰ろう」

という空気になるかと思いきや、ならないんだな。

バカだから。

会社員がなぜ働きたがるのか?

なぜ会社員が働き方改革をしたがらないのか?

それは、彼らが最も恐れているのは

自分のプライベートの時間を削られることでもなく、

残業で疲弊することでもなく、


無能と判断されることである。


早く帰る人は


「サボっている人」


とみなす傾向がものすごく強い。

みんな「サボってる人」になりたくなくて、やることもないのに会社に残り、

何の価値もない、穴を掘って埋めるような仕事を延々と生み出している。


彼らは自分で考えることがものすごく苦手だから、プライベートの時間に自分の事業を進めようとも思わない。

つまり、彼らにとってはプライベートの時間は何かを生み出す時間ではなく、消費していくものなのだ。


だから、プライベートの時間が減っても何とも思わない。

会社の仕事が全てだからだ。


なんてバカなんだろうか。


自分で事業を進めていたら、プライベートの時間は絶対に死守するべき貴重なリソースである。

自分の身体と時間しか生産設備はないのだ。


それを無料で奪われて、勝手に使われたら普通はキレるだろう。


会社員に絶望的に足りないのは、自分の人生を自分で考えて、自分の人生を経営する意識である。

思考停止して、年功序列・終身雇用を信じ、

「その会社で出世すること」

「その会社に最後までぶら下がること」

を念頭に置くから、


「意地でも早く帰らない」


方に進みたがる。

会社というムラでの評価が彼らにとって最も重要なものだからだ。

働き方改革の進め方

会社員は「上司に怒られないために働く」と言った。

正確には上司か客に怒られないために働くのであり、自ら市場を変えようとか何かを生み出そうとするインセンティブはない。


僕はずっと騙されていた。


「我が社はチャレンジに寛容で、風通しがよく、失敗を恐れない風土」

みたいな主張をずっと信じて、いつかそういう風になるんだろうと思いながら若手時代を過ごしてきた。


いや、全くそんなことないよね。


チャレンジは否定し、100%の安全を求める。

上司に話すことはできる、つまり「風通し()」は良いが、それは報告や許可を得るための会話で、自分で何かを発言して何かを作り出すことなどほとんど期待されていない。

失敗したらめちゃくちゃに詰めようとする。


そういう会社なのだ。

そんなん信じるからダメなんだよ。

チャレンジを推奨する、なんて方便だよ。


学習能力の低いおっさんが支配的な会社では、チャレンジなど推奨されない。

なぜなら、学習しないおっさんは、「自分が知らないこと」を恐れるからだ。


で、働き方改革を進める方法。

それは簡単で、偉い人が

「やれ」

って本気で命令すればいい。


そうすればみんな帰るよ。

今まで残業してたのが嘘みたいに、マジで帰るよ。


だって、あいつらが残業してるのは「無能と思われないため」だし、「上司に怒られないため」なんだから。


偉い人が「早く帰れ」って命令したら、怒られないために早く帰るんだよ。

彼らは何ひとつ、自分でモノを考えないんだよね。

会社員がいつも忙しそうにしてる理由

残業自慢・忙しい自慢

入社してからずっと

「本当に忙しい」

「大変だ」

と言い続けている会社の同期がいる。


いつ会っても

「忙しい」

「寝れない」

「帰れない」

ばかりで、会うなり聞かれるのは


「お前は忙しいの?」


だ。

どうでもよくないか?人が忙しいかどうかなんて。

忙しいかどうかよりも、今どんなことをやっていて、どんなお客さんに、何を提供しているのかで仕事を語るべきだと思うのだが、

そういう風に「仕事」を語る人は誰もいない。


会社の同期で集まったときの共通の話題は


「どれだけ残業しているか」


なのだ。

そして徐々に


「忙しい自慢」


が始まり、自分がいかに大変かを語り始める。


僕はこれを「会社に敗北した状態」と捉えている。


忙しいことなんて何の自慢にもならへんやん。

忙しいから何なんだよ。

一生懸命やった?

だから何なんだよ。


誰も褒めてくれねぇよ。

それなのに彼らはいつも、


「俺は忙しい」

「今週の残業時間がやばい」


という話ばかり。

脳髄まで社畜が行き渡って、回復不可能な状態になっている。

一生奴隷として生きればいい。

会社員はなぜいつも忙しそうにしているのか

なぜ彼らはいつも忙しそうにしているかというと、思考が社畜だからである。

ご主人様のために「一生懸命働いている」アピールをしなければならないからである。


奴隷のくせに一生懸命働いてない人間は「無礼な反逆者」

一生懸命忙しそうに働く自分は「正しい」と思い込んでいる。


彼らが欲しているのは「重要な人物とみなされること」だ。

たくさん仕事をしている。

たくさん残業している。


そんな俺は、重要な人物なんだと。

そうアピールしたくて、いちいち残業時間を報告するのだ。


なぜ残業自慢で有能さをアピールするかというと、

自分が何も生み出していないからなんだな。


だって、市場で評価されるものを作っていたら、残業時間をアピールする必要なんてないじゃん。

自分でアプリ作ってたら、


「俺の作ったアプリのユーザーが100万人突破した」


って言えばいいよね。

そして、そういう実績のある人が「俺は50時間も残業している」なんてアピールはしないよね。


めちゃくちゃかっこ悪いじゃん。

残業アピール。


他人が忙しいとわかってもどうすることもできない

いつも忙しいアピールする人間は、


「別に普通だよ?そうでもないよ」


と忙しくもないように振る舞う人間を見ると、


「俺と代わってくれよ」


と言う。

同じチームならまだしも、別の部署なんだからどうしようもない。


そんなことはお互いにわかっているのだ。

それでも代わってくれというのは、


「お前も俺と同じ環境で働いてみろ。俺はこんなに忙しいところで働いているんだ」


という意図の表明に他ならない。

そんなことして何になるんだよ。


鳥が羽を広げて敵を威嚇するように、残業時間をアピールして周りを威嚇しているのだろうか?

そんな威嚇は社畜にしか通用しない。


市場は「忙しそうに働いているか」なんて全く評価しない。

月に100時間残業しようと、できた製品がゴミなら労働自体もゴミだったということだ。

無駄なリソースを使った無能ということになる。


一日2時間しか働かなくても市場が求めるものを作れたならば、その人は立派な人だ。


「何時間働いたか」

をアピールする人間は脳内が学生のまま止まっている。


何時間働いてもだーーーれも褒めてくれないから。

お勉強頑張ったね、と言われたい小学生と同じじゃん。


たくさん頑張ったねぇ。

偉いねぇ。


なんて褒める人間はいないんだ。

市場と向き合え。

お前の残業時間など誰も気にしない。


何を生み出したかにフォーカスしろよ。

何も生み出していないなら、せめて残業アピールはみっともないからやめろ。

そこが社畜マインド脱出の第一歩だ。

なぜ人はやることがないのに遅くまで残業するのか?

会社にいちいち残って毎日毎日残業している人は、暇な人である。

自分でモノを考えることができず、主体的な目標がないから、ダラダラと残って残業するのだ。


どういうことか。


会社が終わった後の個人の時間は、自分の事業を生み出す大切な時間だ。

自分の時間は遊びの時間ではないのだ。

自分の将来の夢のための限られた時間なのだ。


たとえば月に40時間残業していたとする。

一日の労働時間が8時間だとすると、月曜日〜金曜日、まるまる1週間分の労働力が奪われていることになる。

40時間あれば、ブログの記事は40記事も書けるし、小さなアプリケーションはリリースできるかもしれない。


貴重な労働力なのだ。


その貴重な労働力を、裁量労働制の職場などはタダで使われてしまう。

これは時間泥棒とも呼べる行為であり、絶対に許してはいけない。


土日まるまる仕事をしたとしても、実際に稼働している時間は20時間もいかないはずだ。

40時間は、土日2回分、つまり二週間分の休みの労働力をまるまる奪われているのだ。


暇な人は、家で何かをするという意識がないため、会社で過ごす時間に無頓着だ。


僕は1分でも会社で時間を無駄にしたくないと思いながら、お金のために我慢して働いているのだが、

他の多くの人はやることもないのにダラダラダラダラと会社に居残っている。


お前ら、目標はないのか?

会社に居残って、頑張っているアピールするのがお前の人生なのか?


好きで残っているならいい。

会社の仕事に夢を持ち、高い志を持って会社で仕事をこなすのは素晴らしい。

それなら毎日終電まで夢のために頑張ればいい。


でも、会社に遅くまで残っている人の多くは、会社に不満を溜め込んでいる。

いつも辛そうな顔をして、というか、「辛い顔をするために」会社に残っているように見える。


いや、帰れよ。

嫌なら働かなくていいよ。


だって、そんなにやることないじゃん。


仮にやることあるとしても、昼間にどれだけ無駄な会議してるんだよ。

お客さんのためにもならない社内向けの資料に、どれだけ時間を費やしているんだよ。

お前の仕事は何か価値を生み出しているのかよ。


僕が思うに、日本の大企業の多くはもう取り返しのつかないほど病が進行してしまっている。

内部から腐ってきて、四肢がもげ落ちそうになっている。


限界がくるのは5年先くらいだろうか。

普通に考えて、こんな不合理な組織が永続するはずがないのだ。


社員は無気力で、意味のないことばかりやって、変化を恐れ、馴れ合いの会議ばかりで時間を潰している。

どれだけ無駄なことに時間を費やせばいいんだ。

何よりヤバイのは、中で働いている人たちが誰一人として「自分たちが無駄なことをやっている」と気付いていないところだ。


誰もが真面目に働いているつもりで、無駄なことばかりをやっている。

完全に会社に染まっているから、無駄を無駄とも気付かない。


みそから腐っているということである。


遅かれ早かれ、こういう組織は滅びるだろう。

自分たちにできることは、早めに脱出するか、自分だけでも生きる術を身に付けておくことである。

今から動かないと間に合わないかも知れない。

大企業の「責任を取らない」ことにだけ一流の会社員



竜馬がゆく』5巻に勝海舟西郷隆盛が出会う場面がある。

そこで勝海舟が放ったセリフは大企業のおっさん社員の様子そのものであった。



「幕閣幕閣とたいそうに申されるが、ろくな人間はいませんよ。

老中、若年寄といっても、みな時勢にくらい」



「当節、食えぬものといえば、天下に幕府の高官ほどのものはござらぬ」


「たがいにかばいあって、どこに権能があるのか、わかぬようにしている、老練なものでござってな」


「なかでもその親玉とすべきは、老中諏訪因幡守(いなばのかみ)でありましょうな。

たとえばそれがしが正論を持ってゆく。ご説もっともでござる、と決して反対しない。

反対しないから行うのかとおもえば、けろりとしている。

もし、正論が自分一個に不利益だとすると裏へまわってその人物を退けてしまう。だから、たれも正論を吐かず、直言する者もない」



大企業の能力のないおっさん社員は、「仕事をやっている風」に振る舞うことには長けているが、だからといって問題を解決する能力は皆無である。


何か仕事が発生したとしても、全力で自分の責任を回避しようとして、まともに行動なんてしない。



「やっている」

ような様子で話をしていても、全く何も行動しない。


大企業という特権にあぐらをかいたおっさんは、幕末の幕閣そのものである。


何を言っても曖昧な返事で


「そうですね」

「たしかに」


みたいなことを言うが、絶対に何かを変えようとしない。


「調整」という名目で若手に仕事を投げることに関しては一流だが、判断力・理解力・行動力がなく、何も価値を生み出さないのが特徴だ。



なぜこんなおっさんになってしまうのか。


結局は、自信がないのだ。


何も考えず、当事者意識もなく日々を漫然と過ごし、年ばっかりとっていく。

スキルもない。努力もしてこなかったから、できることは


「仕事を頑張っているように見せること」


だけ。

自分のスキルに自信がないから、仕事が振られてきたら全力で責任を回避する。


恥ずかしくないのかな。そんな仕事していて。

虚しくないのかな。そんな仕事のやり方で。


でも大企業のおっさん、そんな奴めちゃくちゃ多いよ。


本人は真面目に働いているつもりなんだよ。

でも全く価値を生み出さないの。


何も考えずに「出社して、帰る日々」を繰り返してきた結果なんだと思う。


「定年」まで逃げ切れるといいけど、どうなんだろうね。

「新人は帰る前に『手伝うことありますか?』と聞け」という主張の意味がわからない

ビジネス書によく書かれているのが、


「新人は退社前に『手伝えることはありますか?』と聞け」


というものだ。


手伝えることはありますか?

と聞くことで周りへの気遣いをアピールでき、周囲と良好な関係を築くことができるかららしい。



アホかと。



手伝うべきことがあるなら、業務中にタスクとして振るのが上司の役目だ。


それに、新人に「手伝うことはありますか?」などと聞かれたところで、逆に困ってしまうことも多いだろう。

「業務を手伝う」というのはそれほど簡単なことではない。

  • 引き継ぎにかかる工数
  • 知識の伝授にかかる工数
  • 手伝った内容を確認する工数


を考えると、手伝ってもらうほうが断然大変になるのだ。


悪い言い方をすると、邪魔なのである。


新人の仕事は、さっさと帰ることだ。

常に余裕があるように見せていれば、新しくて面白い仕事が降りてくることもあるだろう。


逆にいつも忙しそうにしている人間には新しい仕事は振りづらい。


それはそれでいいと思うのだが、余裕を持っておくことは本当に大切だ。


帰り際に「手伝うことありますか?」みたいに聞いたところで、任されるのは


コピー取り


みたいなくだらない仕事くらいだろう。

そんな仕事をやったところで何にもならん。

さっさと帰ってスキルを磨こう。


結局、専門性がない人間には面白い仕事は回ってこない。

コピー取りのスキルを磨いたところで、代替可能なスキルでしかないのだから、価値がない。

そういうのは、コピー取りしかできない人間がやればいい。

当たり前のことだ。



ここまで散々、「手伝えることありますか?」は必要ないと説いてきたが、

正確に言うと、雑用させられるくらいならさっさと帰れ、ということだ。


仕事を通じてスキルを磨けるチャンスがあるなら、むしろ積極的に手をあげよう。

運良くものすごく優秀な先輩に出会えたなら、手伝う名目でスキルを盗むのもいい。


しょうもないオッサンの「手伝い」で時間を潰すことには反対だが、会社を「学校」のように使い、スキルを身に付ける場として活用するのであれば、「残業」という名の「課外授業」をするのは全然アリだ。


カッコいい先輩には積極的に話しかけ、手伝わせてもらい、スキルを盗もう。

会社で無駄に残業している人は、忙しそうに見せたいだけ


会社にいると、特にやることもないのにダラダラと残業している人がものすごくたくさんいる。

18時台に帰宅する人に


「早帰りするんだね」


と声をかけ、「自分はそんなに早い時間には帰れない」とアピールする。

それで、残って何をやっているかと思えば、特に何かを生み出しているわけでもない。


「忙しそうな自分」


でいるためだけに残っているような連中が大量にいるのだ。


なんと愚かな連中だろう。


残業代をもらうためならまだ理解できるが、裁量労働という名の労働力使い放題制度の中で働いていて、これなのだ。



「周りに働いているように見せたい」


というモチベーションは、長時間労働を受け入れる素地にもなるのだろう。


大多数は残ってるだけで何もやってないのが現実だが。


たいしたことをやっていないのに残業する人にはわかりやすい特徴がある。


「忙しそうな自分」をいつもアピールしているのだ。


今月は休日出勤ばっかりですわ。

毎日帰れないですわ。

いや〜忙しすぎて時間がないですわ。


と、毎日毎日、忙しい自分をアピールして同情を誘おうとする。


どうしようもない小者である。

小者すぎて、存在が見えないレベルだ。


そういう人は、いつも不安なのだ。


自分の重要性が周りに認めてもらえないと、不安で仕方ない。

だからいつもいつも、忙しいアピールをし続ける。


そのくせ、業務を効率化したり、早く帰れるように会議を調整するなどの工夫はしない。


結局、残業している自分が好きなのだ。

なら、忙しいアピールをするなよと言いたい。


好きで残っているんだろう?

なら何も言うな。



会社員の「忙しいアピール」は数多くある「会社員特有の愚かな振る舞い」の中で、最も下卑たものである。


低俗で、卑しく、みっともない。


プロフェッショナルとはかけ離れた、情けない振る舞いである。


まともな思考を持った会社員は、決して忙しいアピールなどはしない。


「やるべきことがあるから仕事をする」


というのが紳士の振る舞いだ。


そして、やるべきことがないときはさっさと帰る。


自分に自信があれば、わざわざ忙しいアピールする必要などない。

自分の裁量で、やるべき業務を進めればいいのだ。


会社を見渡して、「忙しいアピール」を絶えずしている人間がいたら、クズの烙印を押して距離を置こう。

腐っている人間のそばにいると、自分もだんだんと腐ってきてしまうからである。


極力関わらない方がいい。



このツイートは実に的を得たものだと思う。