会社が嫌なら辞めていい

俺たちはいつだって自由になる権利があるんだ

社内の会議でしか使わない資料のために膨大な工数をかける意味はあるのか

社内の同じ部署の偉い人々の「許可」を得るための会議があった。

部内の偉い人にプロジェクトの計画を説明して、それに認められたら本部や役員の承認をもらう会議に提出するというやつだ。


同じ会社の同じ部署の偉い人に説明するために、一週間以上かけて数人で手分けして、見栄えの良いプレゼン資料を作っている。

社内の審議を通すためにだ。

この資料に何の意味があるのだろうか?


計画を立てたところで、どうせ計画通りにはいかないのだ。

様々な問題も発生するだろう。


それに、社内の偉い人は現場を知らない。

知識もない。


そんな人たちにプレゼンしたところで、プロジェクトの成功率が上がるのだろうか?


それに、会議に出してツッコミを入れたところで、どうせプロジェクトは始まるのだ。

だったらその会議の意味はなんだ?

茶番じゃないのか?

なんでそんなに一生懸命パワポの資料を作るの?

お客さんがいるならわかるけど、社内のおっさんに説明するならホワイトボードで良くない?

ホワイトボードで説明するか、小さなデモ画面を見せた方がどう考えてもいい。


でも、おっさんはアホだから、そういうのは認められないんだろうな。

何よりも「形式的であること」を重んじるから。

中身ないくせに。


なんで彼らはあんなに無駄なことばかりして、無駄を無駄で塗りつぶして仕事した気になってるんだろう。


日本人は忙しい。

会社に12時間もいる。


とか言って、自分の境遇を嘆いているけどさ、

実際に仕事してるのって1時間もないでしょ。

価値を生み出してる時間、10時間会社にいて、1時間もないよね?


お前たち、何やってんの?

なんで誰も疑問に思わないの?


明らかにおかしいじゃん。

無駄な社内資料に大量に時間をかけて。

おっさんに「OK」もらうためにカラーでパワポの資料を印刷して。


で、上辺の指摘をもらって、それを対策して。


意味ないから!それ!


なんっっっの意味もないから!

その会議。


馬鹿じゃん。

会議してる暇があったらさっさと作れよ。

ITの会社で働いてるんだろ?

エンジニアなんじゃねぇのかよ。


グダグダグダグダ口頭で”検討”ばっかりして。

見積もり、計画、検討になんと2ヶ月!

暇かよ。

何やってんの、マジで。

普通は2ヶ月あればデモ作って動かして、お客さんに見せてるくらいのスピード感だよね。

なんでそんなこともわからないのかな。

なんで無駄なことやって、それで正しいと思ってんのかな。

無駄なことばっかりやってるくせに、なんで偉そうなのかな。


本当ツッコミどころ多くて笑える。

会社員をやりながらスキルを身に付けるのは難しい

会社に通いながらたゆまぬ努力でスキルを身に付ける人がいる。

彼らは超人的な意志力と、超人的なガッツで自分の時間をやりくりし、必要なスキルを身に付けている。


たとえば英語。

会社で全く英語を使わないのに、会社に入ってからプライベートの時間だけで英語を身に付けるのは本当に難しい。

何かのスキルを身に付けるために最も大事なのは


「継続」


である。

しかし会社があると、週に5日。

一日10時間以上もの時間を会社に取られる。

10時間というと、残り14時間あるじゃんと思うかもしれない。


しかし、僕たちが活動に割ける時間はそれほど多くない。

7時間睡眠に使い、食事やシャワー、移動にも時間を取られる。

睡眠7時間+その他2時間で9時間。

会社に10時間。

残った5時間を全部勉強に費やせるかといえば、そうでもない。


会社で疲れ切った場合、意志力を回復させるために仮眠をとったり、

部屋の掃除や家族との会話に時間を使うこともあるだろう。


そうすると、自分に使える時間はせいぜい3時間程度しかないのだ。

3時間の中で、仕事のための勉強、将来のための勉強、今身に付けたい英語など、手に入れたいスキルに時間を割り振っていかなければいけない。

必然的に、細切れの時間となってしまう。


何かを身に付けるためには、一気に大量の時間を投入するのが最も効率的だ。

しかし、会社に通う限り、そんな時間はなかなか取れない。


英語と中国語を身に付ける、みたいな離れ業はまず無理だろう。

身に付けたいスキルを一つに絞り、それだけに一日2時間を費やすようにしないと、何も身に付けられない。


そして逆に不思議に思わないだろうか?


なぜ、こんな無駄な時間を会社に費やさなければならないのだろうか?


と。

何のスキルも身に付かない。

社外で役に立つ技術なんて学べない。


ただひたすらに身内に向かった無駄な資料作りや、無駄なメールばかりに時間を費やして、

専門性を磨けない。


なんでこんなことに自分の大切な時間を使っているのだろう?と疑問に思わないだろうか。


その疑問は正しい。


人生最大の無駄は会社である。

学校よりも無駄だ。

なぜなら、学べることがないからだ。


「給料が出る」

ただそれだけの価値しかない。

ただそれだけの価値のために、僕たちは毎日会社に縛られる。


金が必要なのだ。


もちろん会社は会社で社会に価値を生み出している。

だから会社に金が入ってくるし、そのお金から給料が払われる。


会社自体が無価値なわけではない。

会社の業務が、自分の人生にとって無価値だったらヤバイということだ。


その会社の業務に価値を感じている人は、そこで一生懸命働けばいい。


自分の人生はその会社のために最適化されているわけではない。

自分の人生の進みたい方向と会社の求めるベクトルが一致していないのが不幸なのだ。

その場合、会社の時間は完全なる無駄な時間となる。


だから、会社の時間が無駄だと感じたら僕たちは、すぐにでも転職するべきなんだ。

人生でいちばん大事なのは金じゃなくて時間である。

自分がどんなことに時間を費やしたいのか。

時間を費やした結果、何を得たいのかをしっかり考えなければいけない。


その上で、自分の働き方を考える必要があるのだ。

新卒でたまたま入った会社に人生を捧げるほど馬鹿なことはないよ。

会社は僕たちのために存在してるわけじゃない。

僕たちは自分自身で人生を選ばないといけないんだ。

人生で最も無駄なのは嫌な会社で働く時間である

世の中にはたくさんのライフハック本が売っている。

そのライフハック本にはたくさんの

「時間短縮術」

や、

「効率的に仕事をする方法」

あるいは

「短い睡眠で最高のパフォーマンスを出す方法」

などが書かれている。


これらのライフハックは限られた時間をどうやって活用するかに焦点を置いているわけだ。

しかし、どんなに最高のライフハックを施したからといって、「一番オイシイ時間」を自分のために使えないのであれば全く意味がない。

つまり、一番脳が働く平日の日中の10時間を会社なんかに奪われているようでは、細かいライフハックを工夫したところで全く意味はないのだ。


会社に属している以上、生産性は会社の文化に依存する。

個人でどんなに効率的に働いたからといって、馬鹿が無駄な会議を入れて60分ダラダラと過ごしたら、

それで全ての効率化は帳消しになる。


つまり、馬鹿が多い組織でどんなに自分のタスクを効率化しても、ほとんど意味はないのだ。


薄々気付いていたのだが、会社で働く個人で、本気で


「生産性を高めよう」


としている人は本当に少ない。

彼らには

「長く働いて一生懸命働いているように見せたい」

というモチベーションの方が大きいように感じる。

会社の業務の効率化なんて誰も本気で望んでいないのだ。


無駄な業務を作り出すことを「仕事」と捉えているし、

仕事がないとみんな不安で仕方がない。

彼らは

「暇は悪」

と考えているのだ。


暇ならさっさと帰って自分の仕事を進めればいいじゃん、と思うだろう?

彼らは

「自分の仕事?会社以外に仕事ないじゃん」

と考えるのだ。

自分で自分の仕事を作り出す発想がない。

会社以外で働くという考え方がない。


発想が完全に社畜なのだ。

会社の中で生きる以外の発想がないという意味で。

副業で稼いでいる人はみんな残業せずにすぐに帰宅している


「超時間術」

とか、

「あなたの生産性を3倍に高める方法」

みたいな本を何冊読んでもダメな会社で働いている限り、全く意味がない。

無駄だ。


個人の生産性は、所属する組織の生産性に引っ張られるからだ。


ああいうライフハックを本気で活かしたいのであれば、個人事業主になるか起業するのがいい。

自分の時間をどう使うかを自分で決めることができない状態のままでは、生産性など高められないのだ。


そういえば、最近

君たちはどう生きるか

という本が流行った。

会社員は「どう生きるか」を選べない。


人事部に勝手に異動先を決められ、所属したチームに勝手に仕事を与えられ、自分で作り出せる仕事なんて限られている。

自分で仕事を作り出したとしても、頭の悪いジジイを説得する無駄な説得作業が大量に残る。


とにかく非効率なのだ。

とにかく無駄ばかりなのだ。


穴を掘って埋めるような作業ばかりで時間を潰し、

新しいことを生み出す発想なんてまるで持つこともなく、

ダラダラダラダラと時間を潰し、

檻の中で優秀さを競ってる。


本当に馬鹿者ばかりだ。


会社で働く時間は人生最大の無駄である。

自分の時間を生きよう。

たった一度の人生で、くだらないものに使う時間なんてないはずだ。

副業で稼いでいる人はみんな残業せずにすぐに帰宅している

会社には不動産を持っていますとか、

株で稼いでいます、みたいな人がたまにいる。

そうやって給料以外の収入がある人は皆、残業なんてせずにさっさと帰っている。


なぜだろうかと考えると、彼らには余裕があるからだ。

会社にいるしかない人間は、会社をクビになったら食うことができない。

だから、ご主人様に必死に尻尾を振って、ご機嫌をとって、


「一生懸命がんばっています!」


とアピールしなければならない。

小者が生き延びるには、ご主人様の機嫌を取るしかないからだ。

で、自分が夜遅くまで働いているからこそ、

さっさと帰って別で儲けている人間が気に食わない。


「おれがこんなに苦労しているのに!

なんでさっさと帰るんだ!」


と考えて、さっさと仕事を終わらせて帰る人を攻撃しようとする。


こういう奴は完全に社畜でどうしようもない人間だ。


お前が早く帰れないのは、お前の仕事が遅いからだ。

たくさん仕事がある?

たくさん仕事が降ってくる?


それはお前が仕事を受けようとするからだ。

会社は従業員の時間分目一杯働かせようとしてくるんだから、意識的に調整しないと次々と仕事が降ってくるのは当たり前なのである。


調整しない自分が悪い。


業務量の調整もせずに、


「俺ばっかり大変な思いをしている」


と愚痴り、早く帰る人間を攻撃するような会社員は、端的に言って馬鹿である。


自分が社畜根性に染まっていることにも気付かない愚か者である。


「会社で頑張ることでしか生きられない」


というのは、一種の呪いだ。

この呪いにかかった人間は、会社を基準にすることでしか、人生を考えることができない。

お前、会社に依存しすぎじゃねぇの?

と思っても、それ以外の選択肢が全くないのだ。


選択肢がない、つまり、会社の外で生きていくことを想像すらしないのだ。

給料以外の稼ぎ道をイメージできないのだ。


だから、自分の時間を大切にしない。

給料以外でお金を稼ごうとする者にとって、何より大切なのは自分の時間である。

自分の時間があるから、そこで事業を生み出し、自分の商品を開発し、お金を得ることができるのだ。


自分の時間は絶対に死守しなければならない。

自分の大切な、大切な時間を、会社に奪われるなんて絶対に許してはいけないのである。


社畜には「自分の時間を守る」という発想が全く無い。

ご主人様の言いなりで、自分の時間を捧げ、家に帰ったらダラダラとテレビを見たりスマホゲームをして寝てるだけ。

翌日仕事をして、また帰ってきて、何も成長しない日々の繰り返し。


そんなんだからダメなんだ。

そんなんだからいつまで経っても社畜なんだ。


社畜」という言葉を考えたのは誰だかわからないが、すごい言葉だと思う。

会社に属する家畜と書いて、「社畜」だ。


ご主人様に餌をもらわないと、生きていくこともできない。


俺たちは檻の外に出て獲物を狩ることができる狼であるべきだ。


狼は生きろ。

豚は死ね。


資本主義の基本である。

「前職の環境はクソでした」→「なんで変えようと思わなかったの?」→「は?」


「会社の悪いところ」を語るとすぐに


「なぜそれを変えようと思わなかったのか」


と詰めてくる人がいる。

サラリーマン金太郎の読み過ぎである。


会社にこんな問題がありました
  ↓
その問題に対して、僕はこのような対策を取りました
  ↓
その結果、会社はこう変わっていきました


こういうロジックで話せたら美しい自己PRになるだろう。

しかし、現実はこんなに甘くない。


大学の部活程度の規模なら個人が頑張って変えていくことは可能だろう。

それは大学の部活は数十人程度しかいないわけだし、

「勝利」

というわかりやすい共通の目標があるからだ。


会社はそんなに単純ではない。


とりあえずお金のために会社に通ってる人もいる。

転職を虎視眈々と狙っている人もいる。

めちゃくちゃ仕事を頑張りたい人もいる。

出生したい人もいる。


色んな人の思惑が重なっているため、本音の部分で目標を共有できない構造になっているのだ。


大企業の場合、社員の数は5000人以上いるのである。


そして、多くの日本企業の場合、社員の半分以上は40歳以上のおっさんなのだ。

若手が働きかけて、おっさんが変わるか?

いや、変わらないだろう。


どんなに考えても、他人は変わらない。

変えられるのはせいぜい数十人程度のチームが限界である。


いや、それすらも変えるのは難しいかもしれない。


会社は部活に比べてあまりにもみんなが適当で、目的意識が薄い。

皆、自分で考えることを拒絶し、目の前の仕事をなんとなくこなすことで日々を過ごしている。

能動的に変わっていく意識など持っていない。



そんな連中が変わるなんて、無理なのだ。

どんなに頑張っても変えられない。


こういうことを言うとすぐに、


「それはお前の努力が足りないからだ」


と否定する奴がいるけど、お前、努力で何でも解決できると思うなよ。


努力でなんとかなる範囲は思っている以上に狭い。


「努力で他人を変えることができる」と考えている時点で驕っているのだ。



他人はマジで変えられない。

自分を変えることだって難しいんだから。


だから、「会社を変えてきたのか?」なんて聞かれたら、


「いや、変わりません。逆にあなたは会社を変えた経験はありますか?」と聞き返そう。


Yesと答えるレベルの人間はほとんどいないはずだ。

会社はチャレンジできる新人なんて求めていない


採用活動ではどの会社も

「新しい風を吹かせてくれる者を求める!」

とか、

「チャレンジ精神が旺盛な若者がほしい」

とか、とにかく前向きで、成長意欲が強く、変化を受け入れる柔軟性を持った新人を求めるようなことを言います。


それで、


会社に入ったらたくさんチャレンジできるんだろうな


毎日エキサイティングな日々を過ごすんだろうな


なんて考えて入社すると、ほとんどの人がガッカリします。


こいつら、毎日毎日同じことの繰り返しで、全然エキサイティングじゃねぇじゃんって。

ダラダラとつまらない会議で時間を潰し、

変化しない言い訳を並べ、

くだらない人間がくだらないことにイチャモンをつける。


そんなしょうもない光景にある種のカルチャーショックを受けることでしょう。

なんてところに来てしまったんだ...と。


疑問を抱きながら日々を過ごしているうちに、だんだんと会社に染まり、

おかしなことをおかしいと思わなくなった時点で、社畜の完成です。


いつの間にかチャレンジする気持ちを失い、市場が見えなくなって、


会社に用意された「チャレンジもどき」の何かをこなしながら生きていくことになります。

この「会社に用意されたチャレンジもどき」も曲者で、

会社の中で、会社の文化に生きている限り、


「チャレンジした気分」


になれてしまうんですね。

実際のところは何も大したチャレンジなんてせずに、用意されたものをこなしているだけなのに。



それで、


「会社員はチャレンジする人を求めているのか」


については、明確にNOと言えます。


会社が求めているのは

秩序に従って、

目の前にある仕事を従順にこなし、

上司の理不尽な要求にも文句を言わず、

どんなにつまらない業務でも期日通りにこなしてくれる「従順な部下」なのです。


独創的に何かをやれ、なんて口では言っても誰も求めていないし、

独創性を評価することも、許可することもできないのが今の日本の大企業の実態です。


決裁権を握っているジジイは全く勉強もしないので、

「自分たちがやってきたこと」

でしか物事を判断できません。


新聞で聞きかじったレベルの知識、

部下に報告された程度の知識で物事を判断します。


自分で手を動かして、技術を修得し、技術的な素養に基づいて判断できる人はほとんどいないし、

自分で市場を調べて、自分の頭で考えて、新しいことを仕掛けようとする人もいません。


今あるものでどうやって生き延びるかばかりを考えて日々生きています。

そして、新しいことは否定して生きています。


なぜかというと、新しいことをやると面倒だからです。

自分がわからないものを認めることができないからです。


僕は日本企業のチャレンジ精神のなさの原因は半分は、

サラリーマンの不勉強にあると思っています。


会社のおっさん、マジで全然勉強しないから。

ダラダラと日々を過ごして、目の前の仕事をルーティンで回してるだけ。

10年会社にいても全く成長していない。


10000時間訓練を積んだら一流になれる、ってよく言われるけど、

なんでもない普通の主婦が一流のシェフにはなれないように、

タクシードライバーがF1に出て活躍できないように、


なんとなくダラダラ過ごしても全く一流になんてなれないんだよ。

そして、会社員の99%が一流どころかゴミみたいな奴ばかりなのは、

何も考えずに日々を過ごしているからなんだよ。


なのに、そうやってどうしようもない日々を過ごしていることにも気付かず、

昔からの資産の上で慢心して、ドヤ顔してる。


そんな奴らに未来なんてあるわけないじゃんね。

なぜ会社のおっさんは買ってきたお土産を自分で配らないのか


私は銀行員ではないが、この文化が意味不明なのはよくわかる。

会社の人間は休暇に入るとお土産を買って戻ってくるのだが、なぜか自分でお土産を配らないのだ。

若手に「お願い」と渡して、配ってもらう。


いや、お土産くらい自分で配れよ。

だってたかだか20人程度だぞ?


「はい、お土産です」


と渡せば一人10秒。

合計200秒で3分程度で配れる。


ネットサーフィンする時間よりも短いじゃん。

なんで会社に染まるとお土産を配る程度のことも自分でできなくなるのだろうか。


コピー取りのような付加価値の低い業務を若手にやらせるのはわかる。

でも、お土産は業務ではないだろ。

お前が買ってきたお土産くらいお前が渡せよ。


それにコピー取りが面倒だとしても、3分程度で済む量だったら自分でやればいい。

会社には「自分でやらないのが仕事だ」みたいに勘違いしているおっさんがたくさんいる。

自分で手を動かさず、足を動かさず、頭だけ動かしている気になって何もしていない奴が大半だ。


頭を動かしていると思っているのは本人だけなのだ。



この「○○さんからです」と言ってお土産を配る様子は私もよくわかる。


いや、自分で配れよと。

配っている新人の近くにおっさんが座ってるじゃん。

じゃあお前が立てよ。配れよと。


よくわからない慣習だか風習なんかに従って、全体の生産性を落としている人が多すぎないか。

「お土産を自分で配らない」

というと些細な問題に見えるが、これは大きな視点から見ると、「思考停止」そのものである。



「みんながそうやってきたから」

「今までそうだったから」


と思考停止して、モノを考えない人だから、無駄なことばかりやる羽目になるのだ。

というか、せっかくお土産買ってきても、自分で配らないと「自分の評判」に繋がりにくいだろ。


お土産は「思いやりのため」とか「おすそ分け」のためにあるのではなく、


「お土産を買ってきてくれるいい人」


と思わせるためにあるのだ。

だったら自分で配ったほうがいい。


もったいないことはしてはいけない。